絵を描くのが苦手なのにパステル和アートに魅了されてインストラクターになったあさと申します。子どもから大人対象にみんなで楽しく集えるパステルアートサロンを主催しています。あさって誰よ?とお考えの方にプロフィール書いておきます。

【ざっくりとした紹介】

出身地:大阪生れ → 大阪と神奈川を行ったきりきたりの生活 → ニュージーランド約10年 → メルボルン南部に在住
家族構成:3歳半児、5歳半児、中国人夫との4人家族
年齢:アラフォー
血液型:O型
資格:保育士資格、幼児教諭、小学校教諭、ホスピタリティマネージメントディプロマ、バリスタサティフィケート、パステル和アートインストラクター資格所持
趣味:楽しい事を追求するのと読書
心がけてる事:できるだけ身体や環境に優しいホリスティックな生活

 

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暗黒の学生時代

だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市で生まれ中学2年まで育ちました。岸和田はガラが悪いとよく言われます。住んでいる時はわからなかったけど、本当だったんだと神奈川県に転校して思い知る事に。自分では普通の態度が神奈川の中学校では反抗的な態度ととられ、転校して早々めっちゃ浮いた存在なりました。おかげでスクールカースト上の子たちから目をつけられる始末。実際はただの小心者だったため、何とか平穏に過ごそうと苦労した中学生活だったんです。

高校無難に楽しく過ごす事ができホッと一安心。都会のギャルに憧れておしゃれも頑張ってみましたが、今思えば漫画を愛するイモくさい女子高生でした

18歳の時進学を機に母が住んでいる大阪に戻る事に。短大で幼児教諭と児童教諭の免許を修得。でも勉強しているうちに私は教師に向かないなと実感。理由は日本の教育社会に馴染めないと確信したから。

学生時代はお笑いにはまり、大阪に帰ったのもお笑い養成所に行きたかったら。家族はもちろん大反対。反対を押し切るほどの勇気もなく、あっさり夢をあきらめました。

周りが見えていなかった社会人時代

20歳の時、総合カルチャーセンターの会社に就職しました。仕事内容は主に営業と事務。1年目に直属の上司と言い合いになり<あさは社会人として協調性も社会性もない>とクビ寸前に。ここでも空気をよめなくて失敗していたのです。でも私の態度を<ガッツがあるやつ>と更に上の上司がかばってくれたおかげでクビは免れました。事件後、部署が変わり新しい上司達は年配の方が多くビシバシと鍛えて頂けました。仕事の合間に転職も考え国家試験で保育士資格も修得しておきました。
さい会社で薄給でしたが失敗も、やりたい事も受け入れてくれる理解ある上司に感謝です。現在もあの時お世話になった数人の上司とお付き合いを続けさせてもらってます。

海外移住を決断するきっかけ

24歳ワーキングホリデーでオーストラリアに行くことを決意し渡豪ゴールドコーストで半年間滞在後、オーストラリアをバックパッカーでまわりました。
24年間生きてきて、人生で一番楽しく感じた歳でした。世界には色んな人がいる事がわかり、自由な発想をしても良いという事を知った時期でもあります。この時の経験から海外に住みたいと思うようになり、日本帰国した後は派遣とバイトの掛け持ちで海外移住資金作りに励む事に。

移住は無理と判断された時期

26歳の時移住の夢を叶えるべくニュージーランドへ行くことへNZに決めたのは、移住方法が比較的簡単だと聞いたから。英語力を証明する為のIELTSという試験で成績を残し、専門学校に行く為にまず語学学校で勉強。でも小さい頃から学校の成績が悪かった私はどんなに勉強しても模擬テストで常に最低点。ストレスで胃痛と戦う日々でした。ある時、そんな私を見兼ねた担当の先生2人に呼び出され、

「あさがIELTSで良い点を取る事は無いだろう。専門学校に行けるとは到底思えない。無駄な努力はやめてもう諦めなさい。」
「あなたがアメリカの大統領になろうとしても無理でしょ?それくらい無理な事なの。移住したいなら他の方法を考えなさい。時間の無駄よ。あなたの為を思って言っているの。」
と言われたのです。語学学校の先生がそんな事を言う???と目の前が真っ暗に。

悲しみの中いったん日本へ帰国。英語の勉強は一番簡単な基礎英語のドリルを1冊だけ買って徹底的に復習しました。でも肝心の英会話はできません。貧乏なので英会話スクールにも外国人が集まるバーにも行けなかったのです。当時はまだMEETUPなども無く、インターネット経由で誰かと会うという事じたい主流じゃなかったんですね。

日本での英語勉強方法

ある時、自宅の最寄り駅で外国人に声をかけて英語の先生になってくれないかお願いする作戦を思いつき、駅に行きました。しかしいざ声をかけようとすると勇気がでません。3時間後には駅近のドトールで意気消沈してコーヒーをすすってました。その時、私の隣のテーブルに1人の外国人男性が座ったのです。思い切って男性に声をかけるとその男性は英会話の先生をしている人で、快く私の申し出を引き受けてくれました。その男性の勤めている英会話スクールは生徒とプライベートで会うのを禁止されており、なかなか日本人の友人ができなくてこういう機会は反対に嬉しいと言ってくれたのです。そんな彼はシドニー出身のオージーで、今も良い友人の一人です。

そしてまだ限界までやってない!と3か月後、もう一度ニュージーランドに渡りました。

人生二転三転

28歳で何とか無事に専門学校に入学でき、英語に四苦八苦しながらも実りのある毎日を過ごしました。しかし29歳を過ぎた学生生活もあと半年というところで、同じ<海外に移住>という夢を目指していた中国人彼氏(現在の夫)と破局。突然、相談も無しに中国帰国したのです。

女は勝手って言われるけど、男も十分勝手です。というか人間みんな勝手だなと痛感した時でした。

失恋の痛みの中で必死に就職口を探し、一件のコンチネンタルレストランが私のビザのサポートをしてくれる事になったのが救いでした。日本人観光客担当とアシスタントマネージャーの立場で就職。しかし半年過ぎた頃、職場で怪我をし利き手が全く使えない状態に。仕事もできない状態のまま2か月過ごさないといけなくなりました。

何でこう次づぎと色々起こるのかわかりませんでした。永住ビザもほど遠く、人生っていったい何なんだ?と真剣に人間の生き方を考えるように。怪我の治療中に哲学や人間学、宗教、自己啓発、スピリチュアルなど様々な本を読み人間について勉強。そしてこの頃から自分の考えが少しづつ変わっていきました。怪我の完治後は同じ職場に復帰でき、仕事に精を出す日々になりました。

そんな中、細々と連絡を取り合っていた中国にいる元彼が私に会い来て突然プロポーズされたのです。
めっちゃ突然で、中国人?男?ってようわからんとホンマに心の底から悩んだ時期でした。

でも迷った末、彼をパートナービザで来てもらう事にしました。NZに戻って来た彼も仕事を探すのに苦労してましたが、今度こそ2人で一緒に永住権ビザを獲得しようと頑張ってくれ、そしてとうとうビザの申請もできる事に!ワークビザもあと1か月で切れるというギリギリの所で永住ビザを獲得できたのです。

移住を夢見て8年目の春。「人生はしぶとくいけば何とかなる」と実感できたひと時でした。

まだまだ続く人生二転三転

32歳の時、永住ビザ収得を機に大学に進学職場もホテルのフロントに変わり、毎日仕事と学校の両立で忙しい日を過ごしつつ、久しぶりの学生生活を謳歌していました。しかし、無理をし過ぎたのか35歳で子宮内膜症をこじらせ救急車で運ばれます。手術が必要なほど症状が悪化していました。しかも、術後不妊症と判明またクライストチャーチ大地震(2011年)が起こり職を失ってしまうという、目まぐるしく色んな事が起こった年でした。

そんな中、夫がメルボルンで仕事を見つけ、私の卒業に合わせて2012年にメルボルンに引っ越しする事となります。心機一転、渡豪後は不妊治療に集中する為に専業主婦になりました。この時から身体にも環境にも優しいホリスティックな食事や生活を心がけるようにしています。そしてその甲斐あってか37歳の終わりに第1子誕生、39歳には第2子が誕生しました。

和サロンを開くまでと現在

40になった時、一度体験して楽しかった<パステル和アート>のインストラクターコースが開催される事を知り受講しました。この時点ではまだ、子どもと一緒に楽しめそうという理由で修得しただけでした。でも日々母親業をしていると、子どもの為の教室やグループは沢山あるけど、親も子と一緒に楽しめるサービスが少ないという事に気づきました。それならパステルアートのインストラクターを使って、お母さんが楽しめる場所を自分で作れば良い!と思いついたのです。

 

特に子育てで奮闘しているお母さん達となら育児話や情報交換もでき、楽しい時間を提供出来るのでは?と<和サロン>の構想がどんどん広がっていきました。元カルチャースクールの社員なので運営の流れもわかっていましたし、そこに夫の理解と私のパステル講師の協力もあり実現できる事となりました。

そして41歳の6月に子連れで来れるパステルアートの<和サロン>とこのブログを開設、現在に至ります。

和サロンへの思い

ここまで読んで頂いた方はお気づきかと思いますが、私の経歴には「アート」「絵」の事が全然でてきてません。実際今でも絵には苦手意識があります。

でもパステルという技法に出会って、絵はもっと自由に表現して良いものなんだと気づきました。何よりパステル調の温かみのある色がどんな作品でも味のあるステキな仕上がりにしてくれます。これは子どもから大人まで楽しめる指でする塗り絵にもなります。塗り絵ならスキルや経験に関係なく誰でも簡単に取り掛かれますよね。日常の嫌な事を忘れて気分転換ができる、何かに集中できる時間は大人になったからこそ必要だと今までの経験から思います。知らない人同士でも気軽におしゃべりしながらパステルアートに夢中になれる空間。私自身欲してやまなかったそんな心の安全基地になる空間をご提供したいと思ったのです。

私は人を笑わせるのが好きで、来て頂いた方がリラックスしたり笑ったりといった時間を過ごして頂ける自信はあります。そして子どもから大人までお客様がパステルアートに夢中になって頂ける最高の環境をご用意しております。

是非一度和サロンにお越しください。

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